「質問通告」について(続・危機管理の視点から-手続論による防御)

 昨日の記事の視点をマクロなものとすると、今日取り扱うのは、危機管理上のミクロ(具体的)な手法に関わることといえます。

 森ゆうこ議員が、トップに固定したツイートで強調していることがあります。

  これは、質問通告が遅れたか否かという問題に関し、「予算委員会理事会で云々」という手続面で自己の正当化を図る対応と言えましょう。「手続」の対義語は「実体」で、「森議員が何時何分にどんなペーパーを出したか」という、通告に関する生の事実関係がこれに当ります。この実体=「森議員が何時何分にどんなペーパーを出したか」については、たしか音喜多議員が「資料を公開すればそれで済むこと」とどこかで述べておられたと思いますが(すみません、URLを発見できていません)、まさにその通りで、予算委員会理事会で云々という話は二次的な証拠にしかなりません。

 いわゆる「手続的正義」(due process)は、専門性が高かったりして実体に立ち入った判断が難しい場合に、外形上に現われたもので代替的に判断し、ある程度の正しさを担保するという機能を果たします。これは法律学の歴史的な貢献の一つですが、
・「実体」(いつ、どんなペーパーを出したか)において不利な場合に、
・「手続」(理事会ガー!)で対抗するという、防御手段ともなります。
森氏のツイートは、まさにこの実例と言えましょう。

 森氏は、役所に対して常々透明性を求めてこられた方ですから、「まず隗より始めよ」、お手本として手元にあるペーパーをお出しになったらいいのではないでしょうか。そのペーパーが自分にとって誠に都合が悪いということであれば、「理事会ガー!」という手続論で対抗するのは危機管理としてオーソドックスな対応と思います。が、手続論でしか対抗できないとすると、やっぱりあの日の質問通告は、相当におそk..(以下ry


 ところで、予算委員会理事会という党派間の利害が渦巻く場にお墨付きを求めてしまったら、明示的であれ暗黙であれバーターのタマにされないんでしょうかね。「こっちは譲るから、あっちの話はよろしく」とか…与党側も問題を抱えてますからね。もし政府与党を舌鋒鋭く追及してこられた森氏が、いわゆる「国対政治」に助けを求めてしまっているのだとしたら、それもまた残念なこと、ということになりましょうか。

 次回はもう一つ、危機管理をテーマにして書いてみたいと思います。